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Channel: エンタメ・アイドル – Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
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ハチミツ二郎に学ぶ「引き出し力」サンドウィッチマンも育った

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 芸能界はいま、空前の「会派ブーム」。幅広い交遊録で有名な、俳優のムロツヨシ率いる「ムロ会」や、そのメンバーでもある小栗旬、山田孝之がそれぞれ長として「小栗会」「山田会」を開催している。

 

「会派」がもっとも多く存在するのは、芸人の世界だろう。なかでも、サンドウィッチマン伊達、タイムマシーン3号関太など、数多くのヒット芸人を輩出している “名門会派” がある。東京ダイナマイトのハチミツ二郎が率いる「二郎会」だ。会長であるハチミツに、後輩たちへの指導秘話を聞いた。

 

 

「自分たちが若手のころは、『見て盗め』的な風潮があって、先輩から教えてもらえる環境がない世代だったんです。だから僕は、具体的に後輩の芸を見て、『こうしたほうがいいんじゃないか』とアドバイスをしてきました。

 

 たとえば、サンドウィッチマン。彼らはずっとコントだけをやっていて、『僕らふだんコントなんですけど、営業に行ったらどうすればいいんですか?』と相談をされました。それで僕は、伊達(みきお)ちゃんに、こう言ったんです。

 

『サンドウィッチマンは、それぞれ通じるようなネタをやっているんだから、椅子も机も取っ払ってマイクの前でネタやれば、それで漫才になる。俺たちはそうしてる。

 

 かぶり物しているコントとか、どうしてもできないものはあるけど、持っていけるものは使って、センターマイクでやれば、漫才にも変えられる』」

 

 そのころ伊達は、東京ダイナマイトの運転手をやっていたことがある。

 

「移動中に、『二郎さん、松田(大輔)さん、M-1獲ってくださいよ。ぼく、東京ダイナマイトがM-1獲るの信じてますから!』と言ってました。そしたら次の年のM-1でアイツが日本一になりやがった(笑)」

 

 サンドウィッチマンのM-1優勝は、二郎の教えが導いた賜物だった。「僕のお陰じゃないですよ」と謙遜するハチミツだが、後輩の才能を引き出した逸話は、これだけにとどまらない。

 

「猫ひろしもそうですね。昔、僕がやっていたインディーズの団体に、まだ大学生だった彼が履歴書を送ってきたんですよ。それから、いつも相方を連れてやって来ました。

 

 あるとき、今後どうしていきたいのか聞いたら、『ジャリズムみたいなコントをやりたい』と。それで僕は、『お前は違う、ピンだ。洋服も必要ない』と伝えた」

 

 それから、ハチミツの「猫ひろし育成プラン」が始まった。

 

「お笑い芸人って『始めたときが始まり』なので、すぐデビューできるんですけど、うちのインディーズ団体のライブで、1年半デビューさせなかったんですよ。意図的に、ずっと稽古だけさせて。

 

 でも、大喜利の座布団運びとか、舞台に小道具もってくるときにひとこと言わせて、お客さんにはちょっとずつ定着させていきました。それで、うちの団体で主催した、芸人が多数出場するゴングショーに出したら、デビュー戦から大爆笑をとって、優勝したんです」

 

 その後の猫ひろしの活躍は、周知のとおりだ。後輩の才能を引き出してきたハチミツ二郎が、最近その力を発揮した現場がある。あるテレビ番組の収録で、若き日に憧れていた伝説のアイドルレスラー・キューティー鈴木と共演を果たしたときのことだ。

 

「すごく夢中になったんですが、僕が地元で学生だったころ、キューティーさんがいた『ジャパン女子プロレス』は、岡山での興行をしていませんでした。だから、プロレス雑誌の『ゴング』『週刊プロレス』を読み込んで、想いを馳せるだけでした。

 

 僕自身、『西口プロレス』に参画したり、メキシコでプロレスのライセンスをとったりと、プロレスとは縁を作ってきたのですが、キューティーさんにお会いするのは、そのときが初めてでした。積年の想いが功を奏して、ファンが知りたいことを、いろいろ引き出せたと思います」

 

 さらにハチミツ二郎はその番組で、革命的な見どころを引き出したという。

 

「キューティーさんが、昔の自分の曲を歌ってくれたんですよ。スナックでの収録だったんですが、曲が入っているかもわからない状態で、アドリブで僕が振ってみたんです。

 

 拒否されるかと思ったんですが、当時の声色で大いに歌い始められたので、驚いたなあ(笑)。まさかまさかの貴重映像になったので、女子プロファンはひっくり返ると思いますよ!」

 

はちみつじろう
1974年11月20日生まれ 岡山県出身 2001年、相方の松田大輔と、お笑いコンビ「東京ダイナマイト」を結成。かつて「西口プロレス」に所属。2009年9月には、メキシコで「ルチャリブレ」のライセンスを取得

 

※ハチミツがキューティーの歌を引き出した『スナック 胸キュン1000% ママこの人つれて来た!』(BS12 トゥエルビ)第12話は、6月14日の26時から放送予定


舘ひろしの貧乏学生時代「シェアハウスで『なめたけ』生活」

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 6月11日放送の『幸せ! ボンビーガール』(日本テレビ系)で、舘ひろしが、学生時代に医学部の受験にことごとく失敗していた過去が明かされた。

 

 愛知県出身の舘は、開業医の父に憧れ、かつては医師を志していた。高校は愛知県内屈指の進学校だが、次第にバイクに夢中になったという。

 

 

 大学に入って1人暮らしをしたいと思っており、有名医大を片っ端から受験するもすべて不合格。その後、上京して1年間予備校に通うも、2度目の受験も医学部はすべて不合格。結局、「当時交際していた彼女のおじさんの出身校だった」という理由で受験した千葉工業大学の建築学科に進学したという。

 

 父から教科書代として12万円もらうが、それで中古のバイクを購入。大学時代はシェアハウスで暮らし、お金がないときには、なめたけを食べて過ごしたという。

 

 ついには家賃を節約するため、女性の部屋を転々として生活していた。だが、大学4年のときに雑誌に掲載された写真が反響を呼び、芸能界に入ったという。

 

 医学部を落ちた原因を水卜麻美から聞かれた舘は、「それ掘り下げる!?」と驚きつつ、「まあ、頭が悪かったんで」と笑顔で答えていた。

 

 舘は学生時代について、2015年8月25日におこなわれたラグビーワールドカップの記者会見で、「中学校時代はグレていたんですけど、高校のときにラグビーに出会い、更生しました」と告白。

 

 ニュージーランドの代表チームであるオールブラックスが好きなことを明かし、「若い頃は暴走族をしてまして、そのときの服を黒にしたくらい」と明かしていた。

 

 ラグビーW杯日本大会のPRキャプテンを務める舘。ラグビーとの出会いこそが、人生を変えたようだ。

ブラマヨ吉田「女にモテたいなら『低い跳び箱』から飛べ」

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「ブラックマヨネーズ」は、ボケ担当の吉田敬(45)とツッコミ担当の小杉竜一(45)からなる、結成21年目のお笑いコンビ。

 

 2005年の『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)で優勝したことをきっかけに全国に知られる存在となった。吉田は最近、エッセイ本『黒いマヨネーズ』を出したのだが、その本には、若いころモテなかったことが書かれている。そこから立ち直った吉田に、モテない男子へのアドバイスをもらった。

 

 

――若いころ全然モテなかったとありましたが、モテないことで悩んでいる読者にアドバイスするなら、なんと声をかけてあげますか?

吉田 もしブサイクだとしても、動き続ける攻撃的なブサイクでいてほしいですね。たとえば8段の飛び箱(美人)を飛べない人間って、8段の跳び箱の悪いところを見つけようとするんですよ。「あいつアホやわ」とか「俺、茶髪あかんねん」とか。無理やり、あかんふうに持っていくんですけど、「そうじゃないやろ」と。それは8段にビビりすぎてるだけやんけ、と思うんです。

 

 僕は4段からしっかり飛んでいこうと。僕は昔、60代のおばあさんとエッチしたことがあるんです……まぁ、それは跳び箱でいうたら一段とかですけど。

 

――確かに、一段ですね(笑)。要は逃げずに現実に目を背けず、アグレッシブに行けということですね。素人時代はモテなかったですが、芸人になってからはモテたでしょ?

吉田 そうですね、テレビに出始めたら、もうブツブツ界では一番モテてると思います。

 

――ハハハ(笑)。ブツブツ界は、ほかにどなたがいらっしゃるんですか?

吉田 ブツブツ界というより肌界でいうと、ホクロまみれのネゴシックスです。後は麒麟の田村とか。田村とは「俺らヒフーズやな」言うて一時よく遊んでました。

 

 でも麒麟が第1回目のM-1にバーンと出て、注目を集めたじゃないですか。そこから道を歩いてたら、田村だけが街で「写真を撮ってくれ」って言われ出したんですよ。

 

 俺は漫才論とかを、ずっと田村に語ってたんですけど、道行く人は田村と写真を撮りたいんで、僕に「すいません。シャッターを押してもらえますか」って。偉そうにしていたのに、僕がシャッターを押すことに。

 

――吉田さんは、それを受け入れたんですか?

吉田 受け入れきれずに、もう田村とつるむのをやめました。

 

――確かにそれは辛いですけど、遊ぶのをやめなくてもいいでしょ(笑)。それこそ田村さんの『ホームレス中学生』みたいに「今回の本『黒いマヨネーズ』が売れたらな」とか思いますか?

吉田 本を書いているときに「100万部売れたらいいな」とか思うじゃないですか。それでいざ本になって、まず本屋にも置いてもらえないというのを知って。改めて、本屋に置かれている作家さんて、すごいなという感覚はありました。

 

 もっと本屋さんが(自分の本を)一番いい場所に置いてくれたりとか、僕の本に力を入れて欲しいです。買ってくれた人はたぶん文句は言わないと思うんですよ。内容的には自信があるので。これでおもんないと言われたら、その人とは絶縁です。

 

――そこまでしなくていいでしょ(笑)。本を書いている芸人さんでライバル視する人はいますか?

吉田 ライバル意識はなかったんですけど、いざ本屋さんに行ってみると、オードリーの若林(正恭)と南海キャンディーズの山里(亮太)の本が、やたらあるんです。「俺の本を置かずに、若林と山里の本ばっかり置きやがって、この本屋、なんやねん」といういらだちが出るようになりました(笑)。だから強いて言えば、若林と山里ですかね。

 

取材・文/インタビューマン山下
 1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・お笑い記者

 

※ブラックマヨネーズ吉田敬のエッセイ『黒いマヨネーズ』(幻冬舎)発売中

大阪人200人に聞く「吉本新喜劇・人気キャラ番付」1位は…

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 1959年の誕生以来、60年にわたって笑いを届けてきた吉本新喜劇。数々の「名物ギャグ」が人気だが、そのギャグを繰り出す個性的な「名物キャラ」も愛されている。

 

 新喜劇の本拠地・大阪で200人に聞いたアンケートをもとに、現在の人気キャラを番付形式でまとめた。1位に選ばれたのは、 辻本茂雄演じる「茂造じいさん」だ。

 

 

 茂造のプロトタイプが誕生したのは、24年前のこと。辻本が誕生秘話を語った。

 

「新しい試みで、生命維持装置を作る研究所が舞台になり、僕が『お茶の水博士』みたいな老博士の役になったんです」

 

 その役に手応えを感じた辻本が、「茂造」として発展させていった。

 

 ジャージを自らメーカーに掛け合って特注するなど、茂造のキャラ作りにこだわり、育て続けた辻本。自らの座長週を茂造に絞って売り出したほか、茂造のスピンオフ企画にも取り組み、幅広い層の人気を獲得していった。

 

「いまも茂造のいろんな出し方を試していったらおもしろいんちゃうかな、と考え続けています。『辻本新喜劇』や『THE 舶来寄席』といった公演もあるので、ぜひ観に来てほしいですね」

 

 以下では、人気キャラTOP5をご紹介。あなたは誰がお好み?

 

【吉本新喜劇「人気キャラ」TOP5】
●第1位「茂造じいさん」辻本茂雄
 自身の座長公演では常に破天荒な茂造じいさんとして登場。「辻本茂雄=茂造じいさん」といえる認知度で1位に。

 


●第2位「すち子」すっちー
 すっちーも舞台では基本的に、すち子に扮して登場する。大阪のおばちゃんキャラの押しの強さと、ビジュアルが人気。

 


●第3位「ぶりっ子キャラ」島田珠代
 振り切ったハイテンションのぶりっ子キャラにファンが多く、「年齢を重ねるほどおもしろくなってる」と言う人も。

 


●第4位「和子おばあちゃん」桑原和男
「飽きない」「安心する」「懐かしい」など、昭和のおばあちゃん像が生む安定感を支持する声が多かった。

 


●第5位「湯婆婆風キャラ」末成由美
『千と千尋の神隠し』の湯婆婆に似たUFO頭のビジュアルが、「似合う」「そっくり!」とまさかの高評価。

 

(週刊FLASH 2019年6月18日号)

愛猫の名は天才芸術家から「杉本有美」女好きで甘えん坊(笑)

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左からダヴィンチ、レオナルド

 

 女優、タレントとして活躍する杉本有美の家には、アメリカンショートヘアの「ダヴィンチ(4歳、オス)」と、ベンガルの「レオナルド(3歳、オス)」の2匹が。出会いはそれぞれ、東京と大阪だった。

 

「2015年3月ごろ、友人と一緒に都内のペットショップに行き、そこでダヴィンチと出会いました。初めて抱っこしたとき、私の腕の中でスヤスヤ眠ってしまったのですが、思わず恋をしたような気持ちになりました。命を預かるという責任について考え、1週間悩んだ末、家族に迎えることにしました。

 

 

 レオナルドとの出会いは、2016年5月ごろ。大阪の実家近くにあるペットショップでした。ダヴィンチの “きょうだい” を探していて、すでに名前も決めていました。出会った瞬間『この子がレオナルドだ!』と思いました。

 

 ダヴィンチは、マイペースで肝が据わっています。撮影に2回ほど連れて行ったのですが、初めての場所でもぐんぐん歩き回っていました。

 

 一方のレオナルドは、かなりの甘えん坊でビビリ(笑)。女性が好きで、私の女友達が来ても平気なのに、以前お願いした男性のペットシッターさんには慣れませんでした。

 

 ただし、ダヴィンチにはべったり。ダヴィンチも、優しいお兄ちゃんになってくれています」

 

すぎもとゆみ
1989年4月1日生まれ 大阪府出身 2001年、雑誌『りぼん』の読者モデルオーディションに合格し、デビュー。『ピチレモン』『JJ』などでモデルを務める。2007年からは女優、タレントとしても活動を開始。『ゲゲゲの女房』(NHK、2010年)、『黒服物語』(2014年・テレビ朝日系)などに出演。温泉情報ドラマ『湯けむり美人出会い旅2』(V☆パラダイス、土曜20時30分~)の第2、第5話に出演する。ねこたちのインスタグラムのアカウントはleo.davi_2019

(週刊FLASH 2019年6月25日号)

ゆりやん、黒スパッツでセレブ気取るも「腹からまんじゅう」

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 芸人のゆりやんレトリィバァと友近が、6月13日放送の『櫻井・有吉THE夜会』(TBS系)に出演した。

 

 番組では、ゆりやんの私服について《セレブを意識した黒スパッツ》と紹介。友近は「よく黒スパッツをはいていて、『その上にスカートをはくんじゃないの?』っていうぐらい(体型が)丸見え。(お腹に)熊とかうさぎを飼っているみたい」と証言する。

 

 

 ここでハリウッドセレブがスパッツをはいている写真と、ゆりやんの写真を比較。へそを出して着こなすモデル体型のセレブに対し、ゆりやんは上着をスパッツに入れてお腹周りをカバーしている。

 

 セレブの写真には「かっこいい」の声が上がるなか、司会の有吉弘行は、ゆりやんのスパッツ姿に対して「(お腹に)なんか飼ってるわ。痩せた人だったらいいけど、ちょっと生々しい」と発言。

 

 それにゆりやんが「私のこと痩せてないとでも?」とボケると、写真を指差し「おまんじゅうが出ちゃってる」と突っ込んでいた。

 

 セレブに影響を受けているゆりやんだが、ほかにも習慣があるらしく、「表参道を朝5時から1人でダッシュしてます」と打ち明ける。

 

 ここで、どのぐらいの距離を走るのか聞かれ、「5キロぐらい」と回答。ランニング中は「『ロッキー』とか聴くとシルベスター・スタローンになった気持ちで早く走れる」と明かしていた。ちなみに表参道で走る理由は「オシャレな場所」だからだという。

 

 ゆりやんは6月11日にアメリカNBCのオーディション番組『アメリカズ・ゴット・タレント』に出演し、アメリカ国旗をあしらった露出の多い過激な衣装でダンスを披露。本格的なアメリカ進出も近いのだろうか。

 

 もともと、映画やドラマに出てきそうなアメリカ人のモノマネを持ちネタにしているゆりやん。黒スパッツや表参道でのランニングも、大好きなアメリカ愛の表れなのかも。

小倉優香、苦手な男性は「デートで割引クーポン使う人」

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 小倉優香が、6月12日放送の『アッパレやってまーす!』(MBSラジオ)で、苦手な男性のタイプを語った。

 

 リスナーからの質問に「デートで(割引)クーポン使ったり。自分が使うのはいいんですけれど」と、デートではやめて欲しいという。

 

 

 だが、支払い時にクレジットカードを使ったりして「マイル(を貯める)はOKです。でも(クーポンは)別なんですよね。ちょっと引いちゃう」と、やはりクーポンは苦手な様子だった。

 

 だが、共演の男性陣からは不評で、アンガールズの田中卓志は「クーポンぐらい許してくれよ」と嘆いていた。

 

 小倉は、自身が思う「モテる男性像」について、2018年12月15日の主演映画『レッド・ブレイド』舞台あいさつで、「余裕のある人がモテている感じ。女性に対して、小さな自己犠牲ができる男性はモテると思いますよ」と話していた。

 

 また『週刊大衆』2018年4月16日号では、恋愛対象の男性について「もちろん、年上です」としたうえで、「あんまり年齢が離れていると恋愛しようとは思わないですね。私の好きなタイプの人は売り切れているのかなって感じです」とコメントしていた。

 

 ムードが大切なデートでクーポンを使わず、余裕のある振る舞いができる男性を求めているようだ。

千鳥・大悟、遅刻で初共演のヒロミを待たすも、許された理由

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 6月12日放送のラジオ『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』で、お笑いコンビ・千鳥の大悟が、酒に酔ったときのやらかしエピソードを明かした。

 

 テレ東プロデューサーの佐久間は、ゲストの千鳥が登場するなり、「大悟さん酔っぱらってるでしょ」と笑いながらツッコみを入れた。

 

 

 ノブが確認し「ちょっと飲んでますねぇ。これはハイボール4杯いってるな」と言うと、大悟は「レモンサワー8(杯)や」と、堂々とした返事。のっけから波乱の滑り出しである。

 

「大悟は、飲んで失敗とかちょいちょいあるんですよ」とノブが話し始めた。

 

「ロケで駅集合なのに、全然15分ぐらい現れなくて。そのとき、待たせてた人って、ヒロミさんですよ。初ヒロミさん共演で、これからロケ車で出るっていうのに、ヒロミさんがスタバで一人で『なんだよ、この時間』って。

 

 俺は『すみません、いま相方が……』ってなってるときに、こいつが現れた。たまたま真冬だったんですけど、マフラー巻いて、ニット帽かぶって、ダウンジャケット着て、ズボン穿かずに来たんです。品川駅のロータリーに、真冬にズボン穿かずにパンツだけで来たんですよ」

 

 大悟は「ボケじゃない。もうベロッベロで。でもね、さすがにね、普通に酔っぱらって遅れたら、ヒロミさんブチギレてたと思うんですけど、やっぱりズボン穿かずに来てるから」と当時を振り返っていた。

 

 大悟の姿が思いのほかウケたようで、ノブが「ヒロミさん笑ったんですよ。『なんだよ、コイツ』みたいな。『お前、面白ぇな、マジかよ』みたいになってくれて。それからロケの中でも『コイツバカだよ。でも、こんな奴がいねぇとな』みたいな感じで」と語った。

 

 大悟が許された理由には、ヒロミの破天荒な過去も関係しているだろう。

 

 2018年9月5日放送の『イッテンモノ』(テレビ朝日系)に出演した際、ヒロミは「(昔)生放送を休んだのね。理由は正月休みでニューヨークに行ってた。帰ってくる日に生放送があったんだけど、うち(B21スペシャル)は3人組だから『1人いなくても大丈夫だろう』って。休んだら『いまからすぐフジテレビ来い! この野郎!』って死ぬほど怒られた」と告白。

 

 最終的には「昔の人は番組を休む。収録を飛ばす。お前たちもやったほうがいい」とまで発言していた。大悟も大悟だが、ヒロミもヒロミ。大悟が遅刻した日、ロケ相手がヒロミだったのは幸運だったのかも。


友近、YOU、近藤春菜の女3人旅「ストリップで大盛り上がり」

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 芸人の友近が、6月13日放送の『チルテレ』(BS日テレ)に出演した。

 

 番組で友近は「YOUさんとハリセンボンの(近藤)春菜と私で地元の愛媛に旅行に行った」と発言。テレビのロケかと思う豪華メンバーだが、完全なプライベートだったと明かす。

 

 

 3人でどこに行くか話し合った際は、友近が「愛媛のストリップ劇場に絶対行きたい」と提案。ここで共演者のロバート秋山竜次が「みんながやっと合わせた休みでストリップ劇場選んだの?」と思わず突っ込むが、友近は「いやもう最高でした。2人もちゃんと(ストリップの)見方というか面白さをわかってました」と応じる。

 

 かつて秋山も、友近と一緒にこのストリップ劇場に行ったことがあるらしく、「あのショーだけは頭から離れない。あの方いました? スティック持った女チャップリン」と口にする。秋山は感動のあまり、その踊り子が大開脚した側で、一緒に500円のポラロイド写真を撮ったと振り返る。

 

 友近によると「松山の女チャップリン」は劇場専属の踊り子らしいが、「脱いだら自分の世界に入るんですけど、脱ぐまでの踊りがちょっとたどたどしい。でもそれが可愛らしい」とその魅力を語る。昭和の踊りを彷彿とさせる、体を左右に揺らす独特なステップを踏む。

 

 友近がラジオでその話をしたことで、ショーが終わったあと、女チャップリンから「友近さんがラジオで言ってくれて改善点があったんだなと思って、何カ所か直したんですけど、気付いてくれました?」と聞かれたという。これには秋山も「うわ、けなげな子。可愛いですよね」と漏らす。

 

 ショーの前に友近は2人に話したようで、いざ女チャップリンの踊りが始まると、YOUと春菜は「あ!」っと顔を見合わせ感動していたという。

 

 ちなみに今回の旅行では、彼女のほかに50代とおぼしき豊満ボディの熟女も出演しており、友近は「そのお姉さんのサービスはおっぱいを揉んでいい」と説明。いったん踊りが終わって再登場すると「は~い! おっぱい触ってええよ~!」とお触りタイムが開まった。無料で客におっぱいを触らせ、自ら相手の顔を胸にグリグリ埋めさせるらしい。

 

 友近は「『もういない? 大丈夫? おいでおいで!』って春菜が呼ばれて。春菜もここ(胸に)に(顔を)ぐわぁってやられてた」と大笑いしながら語っていた。

 

 その後、旅館で、先に帰らなければならないYOUが各地を移動する踊り子になりきり、「お姉さんお世話になりました。次は北海道公演に行ってきます」と即席コントが始まったという。女3人旅は、ストリップ劇場のおかげで大盛り上がりだったようだ。

岡田准一、上司と仲良くなるなら「中森明菜」のモノマネを…

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 6月13日、俳優の岡田准一が映画『ザ・ファブル』のスペシャルトークイベントに出席した。イベントでは、来場者たちから事前に集めた悩み相談に対し、ギャグを交えながら回答した。

 

 岡田は会見の冒頭で、映画の内容にコメディ要素があることに触れ、「(僕は)もともとコメディー出身なので……。出身というとおかしいですけど、宮藤(官九郎)さんの作品(『木更津キャッツアイ』『タイガー&ドラゴン』)に出たり、若いころはコメディーやらせてもらっていました」と自信の回答。

 

 

 実際に、この日、岡田はおふざけモード全開。来場していた学生から「子供たちの前でピアノ演奏する際に、緊張して間違えてしまう」という悩みに対し、岡田は「自信を持って、子供たちと遊ぶ気持ちで。完璧を目指そうとしなければいいんじゃないですか。もし困ったら『ミ』と『ソ』の音で変な顔をすればいいです。やってみますか?」と言い出し、ドレミの音に合わせて変顔を披露した。

 

 続けて、「新しく職場に来た上司との仲良くなり方」という悩みに、「興味を持っているという、なんか理解者になったほうがいいですよね。この人ここがすごいんだなってことをわかって、たまにそれを伝えるとか。そういうのをやっていくと、理解されているから、教えたくもなるし会話もしてくれる」と真面目なアドバイスをしていた。

 

 質問者から、追加で「真面目じゃないアドバイスも」と求められると、岡田はいきなり「モノマネとかしましょうか」とふざけだした。

 

 上司の年齢が40代と聞くと「中森明菜さんでいきましょう。すごい小さな声でしゃべってください。絶対そのうち、ツッコんでくれますから」と具体的なプランまで提案していた。

 

 最後、「お笑いが好きな人に面白く告白したい」という悩みには「本気で伝えますけど、真面目に告白したほうがいい。お笑い入れちゃうと、ごまかしてるのかなと思われる可能性ありますし。茶化すのもね」とまたもや真摯に答えていた。

 

 しかし質問者から「せっかくなら面白く告白したい」と食い下がられると、「好きを変に言うしかない。『私あなたのことす~きぃ~! みたいな』」と変顔ポーズを実演。

 

 チャンスとばかりに報道陣たちのシャッター音が鳴り響き、岡田は「今のを使われるとちょっと恥ずかしいな……」と言いつつも再度ポーズを決め、ノリノリな姿を見せていた。

 

 終始ふざけた調子で、会場を盛り上げて帰った岡田。だが、すべての質問に対し、真剣に回答する姿も見せていた。来場者たちの間で、岡田の株が上がりっぱなしになったのは言うまでもない。

宮本亜門、前立腺ガンの手術を受け「やりたいことをやろう」

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 演出家の宮本亜門が、6月13日放送の『ノンストップ!』(フジテレビ系)で、前立腺ガンの手術を受けて、仕事復帰したことを明かした。

 

 宮本は「自分1人で生きているわけじゃないんだという気持ちを再認識した。生きることがどれほど素晴らしいか、怒鳴ったり、泣いたり、生き生きできることが素晴らしい」とコメント。

 

 闘病を「演出家として自分の経験を自分の作品の中に生かしていけるのではないか」と話した。

 

 

 手術では、宮本の好きなクラシック音楽を流してもらったが、麻酔ですぐに眠ってしまったという。また、手術を受けて、「周りの意見を気にせずやりたいことをやろう」と、心境が変化したことを明かした。

 

 宮本は4月2日のツイッターで「先日、人間ドックで前立腺ガンと診断されました「気になる症状もなかっただけに、宣告されたとき『なんで自分が』と目の前がクラっときました」と投稿。

 

「この年齢で演出がますます面白くなり、100歳まで続けると考えていただけにショックでした。でも今は冷静に全てを受け入れようと思っています」を報告した。

 

 5月22日に手術を受けて、6月1日のツイッターで退院を報告。「がむしゃらに生きてきた僕は、改めて61歳の肉体の事、死が身近にある事を知りました。だからこそ、もっと体を張ってチャレンジし、この命を存分に謳歌しようと決意しました」とつづっていた。

 

 10月3~6日開催のオペラ『蝶々夫人』の演出を務める宮本。死を間近に感じたことで、生への渇望を感じたようだ。

 

吉本新喜劇・未知やすえ、一番ウケるキレ芸は「夫への小言(笑)」

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 1959年の誕生以来、60年にわたって笑いを届けてきた吉本新喜劇。なかでも人々の記憶に強く残っているのが、数々の「名物ギャグ」だ。

 

 新喜劇の本拠地・大阪で200人に聞いたアンケートをもとに、歴史を彩ってきたギャグをランキングにまとめたところ、1位に選ばれたのが、未知やすえの「こわかった~」だ。

 

 コワモテキャラに啖呵を切るところからはじまり、最後に「こわかった~」とかわいくオトす一連の流れに、「気持ちいいキレ芸と、可愛いオチのギャップが好き」という声が、多数寄せられた。

 

 

「キレるくだりをやったのは、まだ新喜劇に入る前、漫才をやっていたころに、歌の合間に新喜劇の人たちがコントをする『ポケットミュージカルス』で、不良役をやらせてもらったのが最初ですね。 

 

 不良でもなかったし、自分でもどこからその言葉が出てきたのかわからないんですけど、当時からリアルに痛そうな言葉を使ってました。10代のコがそんなこと言うから、ウケたんですよね。

 

 新喜劇に入ってからも、お芝居の流れでキレることはあって、それがだんだん短いワードでキレるようになって、ギャグみたいになっていったという感じですね。

 

 あとは、内場くん(元座長の内場勝則)と結婚したのも大きいかもしれません。やっぱり、内場くんにキレるときがいちばんウケますから。『たまにはごはん連れていけ!』とか、ふだんは言わない小言をぶつけて、発散してるからでしょうね(笑)。

 

 1位と聞いて、『すごいギャグの数々のなかで、私?』って思いましたけど、大阪の人に選んでいただけたというのが嬉しいし、すごく光栄やなと思います。これからもキレ方の新しいバージョンやワードを見つけていきたいですね」

 

みちやすえ
1963年8月7日生まれ。1984年、漫才コンビ解散の翌日に吉本新喜劇入団。夫は同じ新喜劇で座長を務めた内場勝則

 

(週刊FLASH 2019年6月18日号)

鈴木杏樹、ロンドンで歌手デビューするも湾岸戦争で女優転身

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 鈴木杏樹が、6月13日放送の『ごごナマ』(NHK総合)で意外な一面を明かした。

 

 実は、日本で活動前、KAKKO名義でロンドンで歌手デビューしていたという。

 

「歌手になりたいと思っていたら、レコード会社にスカウトされて、『日本人歌手を海外でデビューさせよう』ということでロンドンに行くことになった」という。

 

「レコーディングスタジオで下働きしたり、レッスンしてヨーロッパでデビューした」と、2年ほど現地で経験を積んだ。

 

 カイリー・ミノーグらと一緒にライブを行うなど順調だったが、湾岸戦争が起き、イギリスも途中から参戦したことで「何が起こるかわからない」ことから、レコード会社の判断で帰国することになった。

 

 鈴木は女優としてのデビュー当時を、2017年10月26日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)で語っている。

 

 鈴木は1992年にドラマ『十年愛』(TBS系)で浜田雅功と共演。鈴木にとってデビュー作で、芝居が未熟だったため、撮影現場でよく泣いていた。そのため「杏樹待ち」になるのだが、そんなとき浜田が「俺、タバコ吸ってくるわ」と現場を離れ、「浜田のタバコ待ち」ということにしてくれたという。

 

 鈴木は最近になってこのことを知り、「本当にお世話になったんです!」と感謝していた。

 

 プライベートでは「人生は好奇心」と明かし、雑学オタクだという。「いろんなものに好奇心が湧いて、とことん研究してしまう。いまは料理を探求しています」と明かし、目玉焼きとラーメンの2種類を日々研究しているという。

 

 さらに、ガチで水泳に取り組む体育会系気質でもあり、「有名な選手をコマ送りで見て、どうやってターンしているかを何回も見ている」と話した。バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールを各50mの個人メドレーも行うなど本格的に取り組んでいる。

 

 放送中のNHK連続テレビ小説『なつぞら』では劇団の看板女優役として存在感を見せている鈴木。演技も探究心で突き詰めているようだ。

杉村太蔵「永田町不祥事界の星」は年120回以上も講演会を

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 元衆議院議員の杉村太蔵と宮崎謙介が、6月13日放送の『バラいろダンディ』(TOKYO MX)に出演した。

 

 番組で、杉村は宮崎に対し「国政に復帰してほしい。かつて20代30代40代で、不祥事やスキャンダルが原因で辞職された方が復帰できたケースは、いまだかつてない。僕が唯一可能性あるのが宮崎さんだと思っている」と発言する。

 

 

 その理由として、「宮崎さんが立派なのは、自分からやめたこと。本会議場に出席して自ら『やめます』と言ったんです。国会議員480名がいる会議に出てやめたのはこの人だけ。これは素晴らしい」と説明した。

 

 さらに、自身と宮崎の違いについて「宮崎さんは小選挙区で2回、国民に選ばれている。私は比例の下の方。誰1人私に一票入れた人はいないんです」と説明。「会社にたとえると、宮崎さんは総合職で入社。私はバイトみたいなもんです。優秀さが全然違う」と自虐気味に語った。

 

 これに対し「太蔵先輩こそ国政に想いがあるんじゃないですか」と語る宮崎。

 

 あるテレビで500円で食べ放題の特集があった際、杉村が「日本はまだ景気がいいとは言えないよね」と発言したそうで、「社会のことを憂いていた。あの顔は政治家の顔でした」と指摘した。

 

 2人でお互いを持ち上げる気持ち悪い展開に、共演者は「なんなんですか」と大笑いだが、杉村は神妙な表情でこう告白する。

 

「私は政治家として決定的な欠陥があると思った。それは、あんまり他人の幸せに関心がない」

 

 こうした杉村の発言に「それはやばい」と呆れる宮崎だが、現在、講演会の依頼がひっきりなしに舞い込む杉村を「永田町不祥事界の星」と表現していた。

 

 番組では、年に120回以上は講演会をこなしていると明かし、売れっ子になる秘訣を「声がでかいこと」と力説していた杉村。過去には、株で大儲けして億ションを購入したとも報道されている。政治家としては短命だったが、稼ぐ能力は抜群に長けているようだ。

ドラゴンボール「かめはめ波」名称は奥さんが考えたと鳥山明

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 6月13日放送の『ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!』(NHK総合)で、漫画『ドラゴンボール』の必殺技として知られる「かめはめ波」の名前の由来が明かされた。

 

 日本のアニメなどに多い必殺技の名前の由来を検証し、「かめはめ波」について、作者の鳥山明が書面で回答。「亀仙人の必殺技で『カメ』を使った言葉を考えていたところ、奥さんが『かめはめ波ってどう?』と。それを『面白い!』と思って採用した」と明かした。

 

 

 ハワイのカメハメハ大王と同じ読み方だが、鳥山は「ハワイの人に怒られないか心配したが、主人公が使う正義の技だから大丈夫と思い、採用した」とのことだった。

 

 主人公・孫悟空の師匠である亀仙人が編み出し、多くの仲間のキャラクターが使用する「かめはめ波」。同番組調べの「必殺技ランキング」で1位に輝き、その知名度の高さを知らしめた。

 

 世界的ヒット作である『ドラゴンボール』。2013年3月に公開されたアニメ映画『ドラゴンボールZ 神と神』の公式サイトで、鳥山は中川翔子と対談。18年ぶりの劇場作品となった同作への思いを語っている。

 

「テーマがないのがテーマです! とにかく楽しんで観終われればいいと考えていました。感動させようとかではなく、観終わった後の爽快感を大切にしようと思いながら描きました。なるべく小さな子供でも分かりやすいシンプルな展開を心がけていますし、娯楽に徹するのが自分の役目と特徴だと思っています。押しつけがましい教えとか言わないようにしています」

 

 雑誌『Vジャンプ』では、現在も原作・鳥山、漫画・とよたろうによる『ドラゴンボール超』が連載中。まだまだ『ドラゴンボール』は続きそうだ。


岡村隆史「鼻の下が長い」と小顔矯正を告白「めちゃ痛い」

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 6月13日放送の『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、ナインティナイン・岡村隆史が小顔矯正通いを告白した。

 

 ゲストとしてよゐこの2人が出演し、濱口優は岡村について「鼻の下さえ長くなかったら(V6の)岡田准一やもんな」と指摘。

 

 その話に、岡村は「だから小顔矯正、行ってんねん」と明かした。小顔にするには何回か通う必要があり、「一生懸命、グワーっと押さえつけられて、めちゃくちゃ痛いで」と話す。

 

 

 濱口は「まさか小顔矯正に行ってるとは思わへんかった。『めちゃイケ』終わってから1年ぐらい経つけど」とびっくり。岡村は「俺かて、鼻の下が長いっていうのはわかってんねん」と嘆いていた。

 

 岡村は1月2日放送の『オカムラ調査隊 世界の聖地はスゴかった!』(フジテレビ系)で、プチ整形に挑戦。肥満解消のためマイナス100度の超極寒サウナに入り、薄毛予防のためヘッドパンチングマシンでシリコンマッサージを受けた。

 

 また、たるんだ二重あごを解消するべく、15万円の超音波施術を経験。「焼かれてる感じ。あ~痛い!」と絶叫しつつも、アゴ周りがリフトアップされたことを喜んでいた。

 

 5月29日放送の『おかべろ』(フジテレビ系)では、美容に目覚め、ポーチにフェイスシェーバー、白髪隠し、鼻毛カッター、指で塗るリップを持ち歩いていることを明かしていた。

 

 南海キャンディーズ・山里亮太の結婚に刺激を受けている岡村。美容を極めて、良縁に恵まれることを祈りたい。

はんにゃ金田哲、吉本坂46の握手会で「お客が5人」に泣く

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 ボケ担当のはんにゃ金田哲(33)とツッコミ担当の川島章良(37)からなる、お笑いコンビの「はんにゃ」。

 

『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)で「ズグダンズンブングンゲーム」という独自のゲームをコントでやって大人気となった。最近では、2018年にCDデビューしたアイドル「吉本坂46」のメンバーに2人とも選ばれた。

 

 今回は、はんにゃ金田にアイドル活動にかける思いを聞いた。

 

 

——吉本坂46はアイドルで、本業ではないぶん、苦労したことはありましたか?

 

金田 パンサーの尾形さんと僕と2人で、福岡の番組に吉本坂46のプロモーションで行かせていただいたんですよ。最後に尾形さんと僕とで握手会をやったんですけど、来てくれたお客さんは5人でした。

 

——マジですか(笑)。人気者2人で行ったのに、なんでですかね。それはファーストシングルの『泣かせてくれよ』のときですか?

 

金田 はい。『泣かせてくれよ』で行って、本当に「泣かせてくれよ」と思いました(笑)。

 

——それは泣かされましたね(笑)。

 

金田 1時間半を予定していた握手会が10分で終わりました。

 

——早っ! 巻きましたね。かつてジョイマンさんが握手会をやってお客さんが0人ということがありました。いわゆるジョイマン状態になったんですね(笑)。

 

金田 でも、僕らはギリギリ、ジョイマンさんより5人多かったんで。握手会でいうと、サバンナの八木さんも吉本坂46のメンバーなんですが、握手会って「はがし」という方がいらっしゃるんです。

 

——はい、制限時間が過ぎても握手をやめないファンをやめさせるスタッフさんのことですね?

 

金田 そうです。でも、八木さんに関しては、そのはがしをはがすという「はがしはがし」という出来事があったらしいんですよ。

 

——はがしはがし? どういうことですか?

 

金田 八木さんはサービス精神がすごいので、握手会に来てくれたお客さんに、ものすごくギャグをやるんですよ。はがしのスタッフが「もうお時間です」って言うと、八木さんが「ええねん、まだ」って言うんですよ。聞いた話によると、そのお客さんの後ろは誰も並んでなかったらしいです。

 

——ハハハ(笑)。なるほど、はがしのスタッフを八木さんがはがすということですね。

 

金田 八木さんにしたらまだ時間があるし。握手会では一度もなかった前代未聞の「はがしはがし」という現象が起こった奇跡の握手会でした。

 

——シャンプーハットのてつじさんが吉本坂46の握手会でファンが0人だったというニュースもありましたが、グループ内の人気格差が露骨に出るんですね。

 

金田 普通のアイドルの握手会では、パーテーションを立てて、他がどれぐらい来ているかわからないようにしているんです。吉本坂46はパーテーションがないんですよ。でもそれを隠さずにニュースになるっていうのは吉本坂46ならではですね。

 

——セカンドシングル『今夜はええやん』のMVで金田さんは女装してましたが、その女装がネット上できれいすぎると話題になっていました。

 

金田 選抜メンバーの平均年齢が39歳と高齢なんで、撮影中に疲れてくると、みんな徐々に欲望が出てきて、女装している僕のおしりを触ってきたり、トイレに押し込まれそうになりました。

 

——メンバーをムラムラさせるほど金田さんの女装はすごかったんですね(笑)。

 

金田 僕が普通にケータリングを食べていると、周りに男数人がスッと来て、4人ぐらいに囲まれて「今夜はええやん」って言われました。

 

——うまいこと告知しますね(笑)。

 

取材・文/インタビューマン山下
 1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・お笑い記者

 

※吉本坂46 セカンドシングル『今夜はええやん』発売中

ローラが「きらりんちゃん」と呼ぶ白雪りら、改名理由は…

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 ネット発の美人歌姫 “蒼天のハリー” が、3月に「白雪りら」へと名を改め、いまインスタフォロワー数が激増中。本誌で初グラビアの挑戦をした彼女に、インタビューを敢行した!

 

 

−−前の芸名“蒼天のハリー”の由来は?

 

「前の事務所の社長が、『北斗の拳』が好きでつけてくれました。『えっ、それが芸名!?』って感じでしたね(笑)。大竹まことさんのラジオ番組に出たときに『こんな女のコが来るんかい! 名前とのギャップがすごい』と言われて、名前負けしているなと、あらためて思いました(笑)」

 

 

−−ローラさんと仲がいいと伺いましたが、きっかけは?

 

「前の事務所が一緒だったんです。ローラさんには、とてもかわいがってもらっています。会ってすぐのころから『いいコだ』と言ってくれてたみたいで。

 

 自宅にも呼んでもらって、一緒に旅行も行きました。ふだんからあのままなんですよ。テレビの感じと同じ。

 

 最初会ったときは『ハリーちゃん』って呼ばれていたのに、次会ったときは『きらりんちゃん』って全然違う名前で呼ばれて(笑)。これもローラさんっぽくて、かわいいなって。

 

 私が事務所を離れたいまでも、連絡は取り合っています。どこに行っても主役になるし、自分に正直に生きている姿勢が大好きで、すごく尊敬しています!」

 

−−初めてのグラビア撮影はいかがでしたか?

 

「気に入ったカットが本当に多かったです。じつは今回、自分から志願したんですよ。好きなタレントさんが、だいたいグラビアをやっているっていうのが大きな理由ですね。

 

 そのなかでも、中川翔子さんが特に好きで。私もガンダムをはじめとした『ロボットアニメオタク』なので、中川さんみたいにオタクの憧れになれたらと思っています。

 

 読者の皆さまには、見た目と中身のギャップを楽しんでもらいたいです。応援よろしくお願いします!」

 

しらゆきりら
2月20日生まれ 北海道出身 T166・B80W58H89 2018年1月にシングル『Memories』がドラマ『特命係長 只野仁 AbemaTVオリジナル』の主題歌に抜擢され、メジャーデビューした。その後、『サンデー・ジャポン』(TBS系)や『ビーバップ!ハイヒール』(朝日放送ほか)などのバラエティ番組に多数出演し、話題に。2019年3月に改名し、Instagramフォロワーランキング増加率全国2位(アイドル部門)となった。そのほか最新情報は、公式Twitter( @souten_harry)、Instagram(@kirarin_harry_official)にて

 

写真・塚田亮平
スタイリスト・富田育子 
ヘアメイク・REINA

 

(週刊FLASH 2019年6月25日号)

腰痛歴30年「アントキの猪木」神経マッサージ3回で劇的に改善

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「椎間板が2つに割れてるな~。これは痛いよね」

 

 まるで他人事のような医師の言葉を、アントキの猪木(46)は痛みとともに思い出す。

 

「2013年の6月でした。ボランティアで田植えをやったんですよ。その最中から腰が痛くて仕方なかったんですが、終わった後、なんの前触れもなく『ビビビッ』と電流が走ったような感覚が……。まったく動けなくなって、救急車で病院に運ばれました」

 

 

 診断は「椎間板ヘルニア」。ところがそれだけでなく、医師がレントゲンを見ると、恐ろしいことに椎間板が割れていたのだという。 

 

「椎間板が飛び出しているだけなら、切ればいいんですが、割れていると手術もできないんです。『自然治癒力で、椎間板がくっつくのを待ちましょう』ということになって、そのまま2週間、安静にしているしかありませんでした」

 

 じつは彼の腰痛歴は、もう30年以上になる。

 

「小学校のときから野球をやっていて、きついトレーニングをやらされました。うさぎ跳びや、仲間を肩車して階段を上ったり……。今となっては禁止されている方法ばかりですが、これがよくなかったんですかね。

 

 中学に入ると、身長が20cmも伸びて『成長痛』で膝が痛くなったりしましたが、そのころから腰痛も抱えていました」

 

 当時、すでに医師から「大人になって筋肉が衰えたら、もっと腰痛で苦労するよ」と忠告されていたが、実際、これまでに何度もたいへんな目に遭ってきた。

 

「早朝に集合する仕事があって、起きようとしたら、動けなくなってしまって。とにかく連絡しなきゃと思うのに、ほんの2、3メートル先にあるスマホを取りに行くまで、1時間以上もかかりました。そのときは病院にも行かず、1カ月近く寝たきりでした」

 

 痛みが強いときは、神経や神経の周辺に局所麻酔をおこなうブロック注射を打つこともあるという。

 

「注射で、たしかにすっきりはしますが、効果は一瞬。基本は安静にしているしかないんです」

 

 腰痛に悩んでいることを知り、多くの知人が対処法をアドバイスしてくれた。30万円もする布団をもらったこともある。

 

 そんななかで、いちばん効果があったのが「神経マッサージ」というものだった。 

 

「整体の先生に教えていただいたんですが、腰椎の周囲に通っている神経をマッサージして、凝りを取るんです。これは効きましたね。1回やったら背筋が伸びて、2回やったら痛みがほぼなくなって、3回やったらゴルフに行けるまでになりました」

 

 その様子が、冒頭の写真。テニスボールを置き、そこに自分の腰を乗せて、神経をほぐしていく。体重をボールに預けるイメージだ。症状はかなり改善したが、彼の場合、完治するところまではいっていない。

 

「自分でも、痛いのか痛くないのか、もはやよくわかりません(笑)。完全に痛みが消えたら、『その後で、前のようなものすごい痛みがぶり返すんじゃないか』って思うと、怖いような気がします」

 

あんときのいのき 
1973年6月8日生まれ 茨城県出身 かすみがうら市役所勤務を経て、ものまね界へ。猪木キャラを生かした一人コント・替え歌などで活躍中。二級建築士の資格も持つ

 

(週刊FLASH 2019年6月25日号)

 

ゆりやんレトリィバァ「ギャルの聖地」渋谷に引っ越す

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 ゆりやんレトリィバァ(28)は、まだ芸歴6年目にも関わらず、『R-1ぐらんぷり2015』(関西テレビ系)で3位、『女芸人No.1決定戦 THE W』で優勝という実績を持つ実力者。また「調子にのっちゃって!」というギャグも人気の女性ピン芸人である。

 

 2019年の「一番面白いと思う女芸人」ランキングで、友近と同率の1位に輝いた、人気と実力を兼ね備えた彼女に話を聞いた。

 

 

――まだ大阪に住んでいるんですか?

 

ゆりやん 4月の半ばぐらいに、やっと東京に引っ越しました。ギャルの聖地・渋谷に。ギャルに憧れてて。中学のときに、この見た目で、ギャルのグループに入ろうとして、めっちゃいじめられてたんです(笑)。

 

――ネガティブな話を、えらい明るく話しますね(笑)。東京の仕事が多いわりに、大阪に長く住んでましたね。

 

ゆりやん はい。大阪に住んでたときは、大阪がめっちゃ好きで。家の前にコンビニがあるし、ジムもあるし、美味しいご飯屋さんもあるし、大丸百貨店もあるしと思ってたんですけど。渋谷にも、同じぐらい、なんぼでもありました。

 

 それまで東京の仕事のときは泉岳寺のアパホテルに泊まってまして、去年は200泊しました。

 

――1年の半分以上泊まってますやん! アパポイントがめっちゃ貯まったんじゃないですか? 袴田さんどころじゃないでしょ(笑)。昔、番組の企画ですが、3カ月間ルームシェアしてアメリカに住んでましたよね。

 

ゆりやん はい。アメリカにあこがれがあって、英語も好きだし、しゃべれるなと思ってたんですけど。いざ行ってみたら、何を言うてるかわからないし、スピードが速いし、全然意志が伝わらへんし。「もうわからん」ってなって、へこみました。

 

――その英語が全然わからない状態は、どれぐらい続いたんですか?

 

ゆりやん けっこう続きましたね。でも帰る1カ月前ぐらいにルームメイトの子としゃべってて、気がついたら爆笑してたんですよ。しかも英語で。最初は頭の中で「I sayだから」って変換してたんですが、パーって入るようになって来て。

 

 そのときに英語で書いていたノートを見たら「文法とか、めっちゃ言葉を知ってるやん」って思いました。やっぱり、その環境にいたら耳がなれるし、英語しか使わないので上達するんやろうなと。でも帰ってきたらすぐに忘れましたけど。

 

――最近、アメリカ国旗の水着を、番組でよく着てますが、何をきっかけに着始めたんですか?

 

ゆりやん あれは2014年ぐらいのカウントダウンライブの告知で、スポーツ新聞社さんを周ることになったんです。それで吉本の社員さんから「グラビアアイドルがPRで新聞社に行くみたいなイメージでやりたいから、水着を買ってきて」と言われて、あれを買いました。

 

――じゃあ、もう5年も着てるんですね。あんな水着、どこで売ってたんですか?

 

ゆりやん もう日本から撤退したんですけど、アメリカンアパレルというお店です。
(アメリカンアパレルは2016年に日本から撤退し、2018年に日本への配送を再開した)

 

――じゃあ、あの水着は1着しか持ってないんですか?

 

ゆりやん 実はその翌年の2015年に、ニューヨークで同じものを買って2着あります。

 

――じゃあその2着を大事にしないとね。あの水着をパーティーグッズとして販売するのはどうですか? サラリーマンの忘年会とかで、男性社員が着たら盛り上がると思うんですが。早くしないとドン・キホーテで先に売られますよ(笑)。

 

 でもそうなったら、私も替えの水着ができるから助かります(笑)。

 

※ゆりやんレトリィバァ単独ツアー『ゆりやんJAPANツアー』は、7月12日の大阪なんばグランド花月を皮切りに全国5カ所で公演

 

取材・文/インタビューマン山下
 1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・お笑いジャーナリスト

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